まかないその2

〜図書館から用水まで〜


2回目にして、早くも期日に書き上げられなかった。やはり、文章を書く能力なんてないんじゃないかと思えてきた。しかも、1回目の反響もない。連載を3回にしておいて本当によかった。

待てよ。反響がないということは、期日に書き上げられなかったことを気にしている人だっていないはずだ。それなら、安心だ。気楽に書こう、気楽に。

なんだか、変な安心の仕方だね。

* * *

久しぶりに、地元の図書館に行ってみた。たいした変わりもないように見えたが、児童書のコーナーに行ってみて、驚いた。

辞典や図鑑など、「調べる本」のコーナーに、閲覧・学習用のテーブルがある。僕が小学生の頃から置いてあるのだが、そのテーブルがひどく汚くなっていたのだ。乳系色のボールペンや修正液などで、びっしりといたずら書きされている。

いたずら書き自体は、昔からあった。しかし、ここまでひどくなかったのでは、と思う。今のいたずら書きは、書くことよりも汚すことを主眼としているかに見える。

公共物に対しての意識が、変わってしまったのだろうなあ。親も、さほど厳しく教えないのだろう。あるいは、公共物汚すべしとでも教えているのだろうか。絶対ない、と否定できないのが悲しいところだ。

最近の親は、しつけなんてもの、知らないのではないか。言い換えれば、しつけができるほど、礼儀や道徳について知らないのではないか。親自身を見ていても、おかしなやつが多い。

スーパーへ行くたびに思うことがある。子連れで買い物に来ている母親。子供は好奇心旺盛で、何にでも興味を示す。当然、方々へ勝手に歩いて行くということになる。

しかし、母親は追わない。追わずにどうするのかと言うと、子供の名前を大声で呼ぶのだ。呼んで戻ってくるような子供なら問題はないが、たいていは戻らない。母親は名前を呼び続ける。何度も何度も呼んで、それでも戻らないと、ようやく子供のところまで行って、今度は子供を叱るのだ。子供と親と、どちらが悪いのか。見ていて、唖然とさせられる。

子供が歩いて行ってしまうのは、ある程度仕方がないことだと思う。どうにも解せないのは、母親の行動だ。子供が行ってしまったとき、なぜ呼び戻そうとするのか。考えてみると、何かおかしい。

子供が心配だから呼ぶのだろうか。心配なら、自分が歩いて連れ戻しに行こうと、なぜ思わないのか。買い物も重要だろうが、子供とどちらが大事なのか。

あるいは、子供が誰かに迷惑をかけると困るから呼ぶのか。だとしたら、なおさら自分から行くべきではないのか。子供を野放しにして、自分は追いもせず、ただ大声だけを出しているとしたら、迷惑の元凶は母親自身だ。

いずれにしても、母親はまず自分から動くべきだ。子供が悪いケースは、かなり少ないはずである。何度も大声で呼ぶ必要は、ないと言っていい。

ご用心あれ。子は、親を見て育ちますよ。

* * *

同様の例は、自転車で街を走っていても目にすることができる。

幅が2mほどしかない道で、子供を遊ばせている母親。母親同士が数人、立ち話をしている。母親達自身、通行の妨げになっていることが多い。この時点ですでに非常識である。

遊んでいる子供は、道をふらふらと動き回る。自転車で近付いても、子供の方は言うまでもないが、母親もなかなか気付かない。こっちが心配してベルを鳴らすと、母親は慌てて子供の名前を呼び、続けて、子供にこう言うのだ。

「ほら、自転車来てるでしょ。危ないじゃないの」

そう言われてきちんと理解できるほど聡明な子なら、とっくに端へ寄ってるよ。

危ない状況に子供を置いたのは、そもそも母親ではないか。すべて、自分が目を離していた結果である。にもかかわらず子供を叱る神経には、困惑を禁じ得ない。まあ、叱らなければしつけもできないわけだが、叱る必要の生じる前に、まず母親がしっかりと目を配っておくのが筋だと思う。それは同時に、周囲に対しての配慮でもある。

子供をあまり拘束せずに育てたい、という意見もあるだろう。それはそれでいいと思う。いいと思うが、まわりに迷惑をかけない形ですべきだ。犬を縛っておくのがかわいそうだ、だから街中でも放し飼いにする、という意見では、誰も納得しないだろう。

また、そんなことでは神経が参ってしまう、あるいは自分の時間がなくなる、などと言う人は、まだ子供を作るべきではないね。本人が成長できていない。まず、親の責任というものを理解してからだ。

子供はまだ道徳心というものを持ち合わせていないのだ。だからこそ、親が面倒を見るのではないのか。最近の親の考え方は、とても理解できない。

* * *

もう一つ、叱り方で気になること。

子供を連れて買い物に来ている母親。子供が商品にむやみと手を出して、落としそうになったりすると、こう言うのだ。

「お店のおじさんに怒られるよ」

私はべつにかまわないんだけどね、という前置きが入る言い方ではないか。子を叱るべきなのはいったい誰なのか。しつけを他人任せにするつもりなのだろうか。そのしわ寄せは、どこへ行くのか。

昔は、学校もしつけの場であったようだ。教師は、時には殴ったり殴られたりしながら、しつけの重要な一端を担っていたことと思う。今でも、親は学校に期待しているのだろうか。

しかし、しつけに関して言えば、現代の学校は親と同じだろう。いや、もっとひどいかもしれない。

子供から「先生が怖い」と聞けば、親は保護者会で責め立てる。少し強く叱れば、叱られた児童は不登校。場合によってはマスコミに騒がれかねない状況で、教師が児童を叱るわけがない。万一殴ったりしたら、問題は学校だけではおさまらなくなるのが現状ではないか。

今の学校で、しつけなどできるはずがない。親の側が学校をこういう状態にしておいて、期待する方が間違っている。

そして学習に関しては、学校だけでは不足と言わんばかりに、子供を塾に通わせるのだ。本末転倒もいいところ。学校を何だと思っているのだろう。教育機関ではなかったのか。

こんな状況が続けば、しつけや礼儀を教えられる人間がすっかり消えてしまうのではないだろうか。小学校に、そのための授業ができたりして。

ここまで書いて、ようやく思い出した。何のことはない、道徳の時間ではないか。この授業がいかにうまく行われていないかの証明が今、目の前にあるのだろう。

あるいは、そのたぐいの塾を作れば、大儲けできるかもしれないぞ。なんて、すでに存在していたりして。何でも商売にしてしまう連中がいるからなあ。

* * *

話はがらりと変わる。

つい先日、近所の用水に「釣り禁止」との張り紙が現れた。市役所からのお達しである。僕もときどきそこで釣りをしているのだが、いったいなぜ禁止されたのか、その根拠がわからない。

大きな川の上流に行くと、広い河原があったりして、夏には家族連れでにぎわったりする。そして、毎年のように水死者が出る。そういう河原、立ち入りを禁止されているという話は聞かない。また、近所の用水で水死者が出たと言う話は、僕の知る限りでは1件だけしかない。

毎年死者の出る河原を開放し、事故は少ないであろう用水では釣りを禁止する。どうしてこんなことになってしまったのか。不可解である。

僕が釣りをしているところには、ごみを取る大掛かりな装置がある。この装置に巻き込まれたら危険ではあろう。だが、稼動するときには係員がいるはずだ。動かしているわずか数分間、係員が付近に注意していれば済むことではないか。市の職員というものは、それくらいのこともできないのか。

また、その装置のところで用水は地下に潜り、別な川と立体交差して、30mほど下流で再び地上に現れる。地下の部分は完全に水で満たされているはずで、もしこの内側に流されれば危険極まりない。しかし、装置のごみ取り部分の鉄格子が用水を完全に仕切っていて、上流からその地下部分に流されることはないのだ。用水に住む鯉さえ、下流へは行けない。流されるとしたら、装置の内部に入った場合くらいだが、内側で釣りをしている人など見たことがない。子供は入って遊ぶかもしれないが、釣り禁止とは直接結びつかない気がする。唯一考えられる危険は、電線くらいのものだ。

いったい、どこなら安全に釣りができるというのだろう。

実は、答えは準備されている。市内に「湧水公園」というのがあり、その中の小さい池で釣りができるようになっているのだ。おそらく市の意見としては、釣りがしたいならここでしなさい、ということなのだろう。しかし、すぐ隣に民家があり、付近に電線がないとは思えない。状況は用水とさほど変わらない。また、すっかり常連と化した地元の老人がほとんどの場所を取っているらしく、めったに行かない人の入る余地はあまりない。そういう状況に対して、市は何もしてくれないようだ。

昔はこの用水でよく遊んだ。ざりがにとか、やごを捕まえたりしたなあ。今ではこれもきっと、市内にある「とんぼ公園」に行け、となるのではないかな。税金の使い方というのは、えてしてこんなものだ。どうせ公園を作ったって、木登りすらさせないのだろう。ただの空き地の方がよっぽど子供のためになる。もちろん、公園もないよりはましだが、それですべてが解決すると思ったら大間違いだ。

そもそも、水の存在は非常に危険なものである。しかし、それを知った上で向かい合うから、なんとかうまくやっているのだ。この説明、「水」を「自然」に置き換えても通用する。

水は危険だから釣り禁止、というのなら、世界中どこへ行っても釣りはできないことになってしまう。たとえば磯釣りで死者が出たからといって、行政を責める人間はいないと思う。例外もあるだろうが、いるとしたら、そいつの方がおかしいのではないかと思う。

危険な部分の立ち入りを禁止して子供を公園に押し込めるよりも、子供が遊べる用水を作った方がいいと思う。僕が用水で学んだことも、少なくないのだ。ただ、用水である以上、季節ごとの水位の変化が問題ではある。しかし、5kmほど下流には、この用水を利用した親水公園があるのだ。僕の住んでいる市内で、全くできないわけではないはずだ。

市はいろいろなものを作っているようだが、立派な市庁舎やこぎれいな駅では、子供は育ちませんよ。以上、子供の時分からこの用水で遊んできた僕の意見。こんな風に思うのは、僕だけなんですかねえ。