さるすべり

〜"思い出"の花〜


先日、友人のお母さんを見舞った。

その日の午前中、僕は友人に頼んで、車で買物に付き合ってもらった。午後、お母さんのお友達を車で見舞いに連れて行くことになっているというので、僕も同乗して行くことになったのだ。

病室に入ったものの、友人がお母さんと軽い口論になり、友人は僕を伴って病室を出て、僕達は1階の喫煙室に向かった。僕はたばこは吸わないが、友人に付き合って室に入り、いろいろの話をしていた。

1時間程が過ぎたろうか。お母さんとお友達が降りてきた。お友達に釘を刺されたらしく、お母さんは何度か友人に謝っていたが、友人はあまり聞き入れていないようだった。確かに少々謝ってもらったところで、にわかに許すことなどできないものだ。こういういさかいのあったあとの謝罪は、相手の主張を受け入れてのことではない。つまらん内容で口論したこと自体を謝っているのであって、こちらの言っていることを理解したわけではないらしいのだ。その後も往々にして繰り返すものである。そんなことをちらりと考えた。

僕は友人と、お母さんはお友達と、しばらく話し続けていた。喫煙室はさほど広くなく、他にも患者やその家族が何人か来ていた。その中で、たばこを吸わない僕は、なんとなく居づらく感じ始めた。入院患者らしいおばあさんが1人入ってきたが、僕はべつに注意も払わなかった。だから、そのおばあさんが口を開いた時、僕は誰か院内の知り合いに話しかけているものとばかり思った。しかし、おばあさんはどうやらその場にいた全員に話しかけていたのだ。

「さるすべりのことを、他に何と言いましたっけねえ」

おばあさんはそう言った。皆、一瞬ぽかんとしてしまったようだった。突然話しかけられた内容がさるすべりの別名では、とまどうのも無理はない。

おばあさんは窓の外を指さして言った。

「あそこに、赤い、さるすべりが咲いているでしょう」

僕は視力が低いので、あまり丈の高くない、緑色の街路樹らしいものしか見えなかった。友人や他の人達は確かに赤い花をみとめたようだったが、誰もさるすべりの別称を知らなかった。僕も同じだ。ただ、僕はさるすべりを「百日紅」と書くように記憶していた。僕は友人に、さるすべりは漢字でこう書くはずだが、と告げた。「ひゃくにちべに」と書いて「ひゃくにちこう」とでも読むのかしらね、と友人に伝え、そう言ってごらんよとけしかけた。

おばあさんはその名前を聞いて、はじめ軽い齟齬を感じたようだったが、しばらく口に出して繰り返してみるうちになにか思い出したらしく、

「そういえばそうだったような気がするねえ」

と言い、友人のお母さん達になにかを話していた。

僕はまた友人と別な話をし始め、それに続くおばあさんの話は聞かなかった。ただ、おばあさんは「ひゃくにっこう」だか「しゃくにっこう」だか、ちょっと違った発音をしているように感じた。

さらに少しの時間が流れ、僕らは帰ることになった。喫煙室を出る時に、おばあさんは、どうもありがとうね、と言ったようだったが、それが僕に向けられたものかどうかはわからなかった。

駐車場に向かう途中で、僕はようやくその赤い花を見た。なんだか淡い色で、近くから見てもどこか遠くで咲いているようにぼやけて見えた。

思い出にふさわしい花だな、と思った。きっと、あのおばあさんの思い出は、さるすべりの色をしているのだろう。

ずっと話を聞いていたらしい、友人のお母さんのお友達が言うには、百日紅という名前に触れて、おばあさんはなにか昔を思い出したそうだ。植物と、その呼び名が媒介して呼び戻した、おそらくは遠い日の思い出。誰しも、そういうものを持っているものなのだろうか。いつか年をとって、僕が昔を思い出す時、いったい何が鍵になるのだろう。動物か、植物か。地名、人名、食べ物、におい、読んだ本。そういう何かで、どんな思い出がよみがえるのだろう。その夜、床の中で、そんなことを少し考えた。